平塚競馬場(神奈川県)
1931(昭6)年〜1933(昭8)年

「日本航空工業」や「海軍火薬廠」等の軍事関係の工場があった平塚
大空襲に襲われ
市内の8割が焦土と化した
その「日本航空工業」の敷地に馬場が建設され

1931(昭6)年:
神奈川県畜産連合会により平塚競馬が開催された

当時の地方競馬規則に基づかず
ヤミ競馬の時代、
神奈川県独自の「能力検定競励会」という競馬であったと言われている
それは
県内の競馬場でそれぞれ持ち回りで開催された
昭和6年春季は
小田原大船、秋季は平塚
翌7年春季は藤沢、秋季は大船
8年春季は
大船と「能力検定競励会」は続けられた


その後
地方競馬規則の県内2ヶ所規定に適合させるため
川崎競馬場及び戸塚競馬場を残し
1933(昭8)年:
平塚競馬場を廃止にする


跡地は日産車体株式会社になる



神奈川県中郡平塚町